医療と法廷
病院と法廷は、テレビにとって理想の職場でした。毎週、新しい事件のほうから歩いて来てくれるからです。患者が運ばれ、依頼人が座る。主人公が探しに行かなくても物語が始まります。
もうひとつ、この二つの場所には「専門用語で早口に喋ってよい」という利点もありました。分からないままでも、緊迫だけは伝わる。医療ドラマと法廷ドラマが世界中で作られつづけるのは、この二つの条件が強いからだと思います。
医療の側は、1961年に二本が四日違いで始まっています。9月28日にNBCの『ドクター・キルデア』、10月2日にABCの『ベン・ケーシー』。終わるのも同じ1966年でした。研修医と脳外科医、優しい顔と無骨な顔。並んで走ったから、どちらの型も残ったのだと思います。
面白いのは、医療ドラマには外からの手が入っていたことです。米国医師会は1955年、ハリウッドに委員会を置きました。脚本を読み、手術室の考証をし、技術指導をする。その代わりに番組は医師会の承認印を出してもらえる——という取り決めです。『メディック』『ベン・ケーシー』『ドクター・キルデア』がその対象でした。委員会が解散するのは1990年代初頭です。正確さは、学術的な善意というより、宣伝価値との交換で保たれていた面があります。
法廷の側に、同じ仕組みは見つけられませんでした。『ペリー・メイスン』(1957–1966・CBS)の法廷描写が確からしいのは、団体ではなく個人の事情です。原作者のアール・スタンリー・ガードナー自身が弁護士で、製作会社を設け、クレジットなしで脚本の監修に関わっていました。米国法曹協会がしたのは監修ではなく表彰で、1960年、テレビドラマ部門の初のシルバー・ガベル賞を『ペリー・メイスン』に贈っています。
そして『ザ・ディフェンダーズ』(1961–1965・CBS)は、新しく生まれた企画ではありません。前の節(→生放送の黄金時代)でレジナルド・ローズが1957年に『スタジオ・ワン』枠で放送した二部構成の生ドラマ『The Defender』の発展形です。生放送の時代と60年代の法廷ドラマは、同じ書き手で地続きでした。
もうひとつ、時間の話を。『ER緊急救命室』は1994年の新企画に見えますが、原型はマイケル・クライトンが1974年に書いた映画脚本です。救急救命室の24時間を描いたその本は、専門的すぎる・混沌としすぎると敬遠されて、約20年ほど棚に置かれていました。器のほうが追いつくのに20年かかった、という言い方もできます。
日本の医療ドラマ(→社会派医療の原点)は、ここに「組織」という主題を足しました。