生放送の黄金時代
初期のテレビドラマは、録画という手立てを持っていませんでした。だから全部が生放送です。舞台の役者と演出家が電波の上で、毎晩「初日」を打つ。台詞を飛ばしても、書き割りが倒れても、そのまま流れていきます。
この緊張が初期テレビの手ざわりでした。枠の名前がそのまま時代の名前になっています。1947年の『クラフト・テレビジョン・シアター』、1948年の『スタジオ・ワン』と『フィルコ・テレビジョン・プレイハウス』。1956年の『プレイハウス90』にいたっては、当時の常識だった60分を破る90分枠で、番組名そのものが宣言になっていました。
ここで書かれたものが、のちの土台になります。1953年5月24日放送の『マーティ』(脚本パディ・チャイエフスキー、演出デルバート・マン)、1954年9月20日に『スタジオ・ワン』枠で放送された『十二人の怒れる男』(脚本レジナルド・ローズ)。どちらものちに映画になりました。テレビが映画に材料を渡した、いちばん早い例のひとつです。
★この節を書き直したのは、自分のまちがいに気づいたからです。最初にここへ「放送は起きて、消えた」と書きました。調べ直すと、消えたのではなく捨てられたのでした(→神話の訂正)。
この帯に、確かな物証が二枚あります。ひとつはフィロ・T・ファーンズワースのテレビジョン基本特許の図面。もうひとつはゼニス社のリモコン特許で、系統図のいちばん最初のリレーに Mute と書いてあります。器ができて、やがて観る側の手にスイッチが渡る——その両端が、同じ帯に並んでいます。
この状態を変えたのが、次の節(→フィルムで残す)です。番組が最初から残るものとして作られはじめた瞬間に、テレビは「その場かぎりの劇」から「蓄積するメディア」へ移っていきます。
神話の訂正
生放送だったから、この時代のドラマは残っていない
残っていないものが多いのは本当です。ただし理由が違います。この時代の生放送はキネスコープ——モニターに映った画面をフィルムカメラで撮る方式——で日常的に記録されていました。目的は保存ではなく時差でした。ニューヨーク発の生放送を西海岸で後から流すため、そしてフィルムを局から局へ自転車のように回すためです。つまり記録は取られていた。多くが失われたのは、画質が粗く再利用の値打ちが低いと見なされて保管されなかったからで、記録の不在ではなく保存の放棄でした。極端な例として、デュモン・ネットワークが保管していたキネスコープと2インチのビデオテープは、1970年代前半に夜間、アッパー・ニューヨーク湾へ投棄されたと、エディ・アダムスが1996年3月6日の米国議会図書館の公聴会で証言しています。そして相当数はちゃんと生きています。『マーティ』のキネスコープは1963年2月にニューヨーク近代美術館で上映され、のちにディスクとして商品化されました。『十二人の怒れる男』も16mmで残り、議会図書館は『クラフト・テレビジョン・シアター』の完全版を多数所蔵しています。