フィルムで残す
1951年に始まった『アイ・ラブ・ルーシー』は、生放送が当たり前だった時代に、観客の前で演じてそれをフィルムに収める道を選びました。カメラは3台。動きを止めずに撮るために、撮影監督のカール・フロイントがセットを上から一括で照らす照明を組んでいます。
ただし「3カメラの発明」という言い方は、少し雑かもしれません。この方式は生放送テレビのやり方をフィルム制作に持ち込んだもので、当時すでに他社も限定的に使っていた、と業界団体の解説は書いています。持ち込みを望んだのはデジ・アーナズ、技術を組んだのがフロイント、演出がマーク・ダニエルズ。誰か一人の発明ではなく、分業の成果でした。
この帯で本当に大きかったのは、カメラの台数ではなく契約のほうです。ニューヨークからの生放送を求める局と、ハリウッドに残ってフィルムで撮りたい二人。局は折れましたが、代わりに追加の制作費の自己負担と出演料の減額を求めました。その交換に、二人の会社デシルーが番組の権利をまるごと手にします。番組が「残るもの」になり、しかも誰かの持ち物になった——これが後のすべての土台です。
ここから先が、いちばん誤解されている部分です(神話の訂正欄)。
デシルーはその後、『アンタッチャブル』『ミッション:インポッシブル』『スタートレック』を送り出します。この時期の会社を率いていたのはルシル・ボールでした。アメリカの大手スタジオを率いた最初の女性です。生放送の劇を残そうとした選択が、十数年後に宇宙船の物語(→SFファンタジー連続劇)を生んだことになります。
神話の訂正
デジ・アーナズは再放送というビジネスを見越してフィルムの権利を取り、デシルーは再放送で稼ぎ続けた
権利を取ったことは事実です。ただし業界団体の解説は「再放送のシンジケーションはまだ標準的な手続きになっていなかった」と書いており、二人の動機は「長期的な価値を確保するためにフィルムに収めること」という程度に記されています。そしてデシルーは持ち続けていません——1956年10月、この番組の権利を430万ドルでCBSに売却し、その資金で1958年にRKOのスタジオを615万ドルで買っています。所有権の意味は「永久に入りつづける印税」ではなく、「売れる資産をつくれたこと」のほうでした。ついでに言えば、再放送を可能にしたのはフィルムで撮って権利を持っていたことであって、カメラが3台だったことではありません。